ケアマネ時代の思い出


初めての訪問

ケアマネとして初めて担当した人が認知症のおじいちゃんでした。

もう17年も前になりますが、今でもハッキリと覚えています。

「こんにちは。今日からおじいちゃんの担当となりました。よろしくお願いします」との挨拶から出迎えてくれた長女が「どうぞどうぞ」と案内してくれた部屋には、その長女の娘さんの写真が飾られていました。

「この女性はおじいちゃんのお孫さんですか?」

「そうですよ。あと半年で結婚すんですよ」と笑顔を見せながら話してくれました。

「そっかあ。じゃあ、おじいちゃんも楽しみですね」

「あ~、でももう父は何がなにやら何も解ってないから」

そのおじいさんが認知症であることは事前の聞き取りでわかっていましたが、実際、認知症の人とは自分自身かつて面識がなく、実態のわからないまま“そんなもんなんや~”と単純に頭をよぎった程度でした。

おじいさんに関しての一通りの質問をした後、「今、何に困っていますか?」との問いかけに、長女の表情が一変。

「もうね、私、お父さんに死んでほしいんよ」

「え??」

聞き間違い?実のお父さんですよ。

結婚を控えた娘の写真の前で、、、。

今聞いた言葉をかき消したい思いで、もう一度、違う言葉を投げかけました。

「おじいちゃんも長生きできたらいいのにね~」

「もう生きてほしくないねん」

「・・・・・」

「まあいっぺんお父さんと会うてみて、今、鍵とってくるわ」

「あ、はい」

鍵?どこの?それは庭に建てられた小屋の鍵でした。

そして二人一度外に出て、庭に建てられた小屋の鍵を開けました。
部屋の中ではおじいさんが行ったり来たりしています。
僕に気付いて立ち止まり、数秒間、3人黙り込みました。

「おじいさん、こんにちは」

おじいさんは長女に「誰?この人?」と尋ねても、長女はただ冷ややかに父を見るだけ。

“お邪魔します”とあがった8畳くらいの部屋には窓際に置かれたベッドと、その近くのポータブルトイレだけ。
部屋の奥には2畳くらいの台所があります。

「ここでいつも何してるのですか?」

「ちょっと斉藤(仮名)さんとこへ行こうと思って」

「斉藤さんっておじいちゃんの友達ですか?」

「痔が痛くて」

「あ、そう、何か薬塗ってるの?」

そのおじいさんとチグハグな会話が数分続きました。

そして長女に「この人にちゃんと言うといて」と話しかけても、長女はそれには応答せず、僕に向かって
「こんなんなんよう、会話にならんやろう」とおじいちゃんに冷ややかな目線を向けながら話をされます。

「じゃあ、続きはまた、先ほどのところでお伺いします」と長女に言い、おじいちゃんには
「これから何か困ったことがあればなんでも言ってくださいね」という言葉を残して、そこを去りました。

部屋に戻るやいなや「あんなんやろう。腹たつやろう」

「あ、いや別に腹は立ちませんけど、色々と大変みたいですね」

その後、苦労話が続きます。
夜になると外出し、夜中に近くの派出所に迎えに行ったこと週十回。
夜中に近所のベルを鳴らし「もう、ええ加減にしてくれ」と苦情を言われたこと数十回。
小屋の中からの大声で眠れない夜を過ごしていること。
排便はポータブルトイレにせず、部屋のあちこちで行い、掃除だけで終わる日が何日もあること。

【苦労はわかりました。でも“死んでほしい”はあまりにも罰当たりでは、、、。
貴方も迷惑を掛けながらも父親に育てらてきたんでしょう。
今度、自分が世話をする番になったら苦労の種である介護を放棄したい。
その対処法として死ねばいいと】

どんな形であれ、人間、最後の最後まで尊厳を持って生きる権利があります。
当然、家族も協力すべきです。

その時は、疑いもなくそう考えていました。

が、しかし、、、。

アホな妻

老老介護や認認介護という言葉があります。

その夫婦には子供がなく、88歳の夫が86歳の認知症の妻の面倒をみているという、老認介護ともいうべきでしょうか。

夫は細々と自営業を営みながら老夫婦二人で暮らしていました。

夫には難聴という障害があるものの、特に他の疾患はなくお元気です。

接客、電話の応対、そしてその仕事の合間に家事一切を行なっていました。

しかし介護サービスは活用していませんでした。

電話をいただいたのは、そんな夫の疲労が極度に達しかけていた頃でしょう。

「ヘルパーさんに来てもらいたいんやけどどうしたらええんや?」

「はい、まずはお伺いいたします。新規申請が必要になりますので、介護保険証をご用意しておいてください」

「え、うちに来てくれんの?」

「はい」

「あ、いやそれは、困るんやけど。ヘルパーさんに来てもうたらええよ」

「え?いや、先ずは話を伺ってから計画書を作成しなければなりませんので」

「ヘルパーさんに来てもらうこと、妻には内緒にしてほしいんよ」

「あ、いや、、、でも、訪問介護サービスを希望されていらっしゃるのですよねえ?
だったら内緒で、っていうのは無理ですよ」

「そうかあ。もうワシも体中が痛くてやってられんので、ヘルパーさんに来てもらうか?と
家内に相談したら嫌がるんよ。もうあいつもアホになってもたやろう。
あいつの母親もお姉さんもアホやったからなあ、まあ、血筋やろうなあ。」

「ああ、そうなんですかあ」

「アホに何を言うても通用せんわ」

とにかく日時と時間の約束をいただいて訪問しました。

「こんにちは」

「お~い、ケアマネさん、きてくれたで」

「え、誰?」

「介護の人よ。朝から話しやったやろう、今日は来てくれるって。また忘れたんかえ?お前、ホンマにアホになったなあ」

奥さんは無表情です。

「ヘルパーの話し進めてくれるか?」

「でも奥さんは納得されてるんですか?抵抗があるように言われてましたが」

「あ、もうアホになってるから、誰が誰で、何をしに来てくれてるかわからんわ」

ホント失礼ですけどおもしろいほど「アホ」という言葉の連発なんですよ。

それをフォローするように僕は奥さんに向かって言いました。

「アホ、アホってねえ。アホじゃないですよねえ。言うことやすることに、いちいちアホやアホやといわれたら、何も出来ないですよねえ」と。

でも表情は変わりません。

色々と話し合った結果、訪問介護サービズを週に一度だけ、利用することにしました。

さて、確かにこの方の認知症は進んでいるように見受けられます。

いくつかの問題行動に該当する欄にチェックを入れました。

「行動に腹を立てる気持ちもわかりますが、本人には悪気はないのですから。
まあ落ち着いてください。こうして介護サービスを利用されるまでに至ったのですから、
あとはもう、自分ひとりで何もかも背負わないで、一緒に介護していきましょう」

一人前にケアマネとしてアドバイスしました。

でも結局、たった1回きりのサービスで打ち切りました。

「やっぱり嫌がるわ」との電話をいただいたんです。

若年性認知症

僕が担当させていただいた利用者さんの中で、最も若かった人は若年性の認知症の人です。
確か40台前半だったと思います。

父親はすでに他界し、母親もまた介護を必要としておりました。

従って、家事一般はその利用者さんの奥さんが担っておりました。

奥さんは朝早くに起き、夫と義母の一日分の食事の用意をし、仕事に出かけます。

帰宅後、一通りの家事と介護の後、夫と風呂に入り、睡眠を見届けてから自分も眠りに入ります。

休みは日曜日のみ。

私は訪問した時しか家庭内の様子はわかりませんが、この利用者さんはは時折、大きな声で自分の母親に暴言を吐いている光景をよく見かけました。

この方の様子を伺うために、奥様から話を伺うべく、よく日曜日にお邪魔しました。

話はこの奥さんから伺うことになるのですが、苦労話や義母に対しての不満や愚痴も話されていました。

「大変ですねえ」

この言葉以外、何も出ませんでした。

ホッとする瞬間

それから何人もの認知症のお年寄りと接してきました。

認知症とは診断されていなくても、極端に物忘れがひどかったり、

同じことを何度も何度も繰り返すお年よりも多かったです。

担当しているお年寄りの家には月に1度は必ず訪問するのですが、時には訪問がイヤでイヤで仕方なしに出向くこともあります。

そのおじいさんは、他人や社会に対しての不平不満や愚痴、悪口、そして自虐、生きることに対しての無意味さ、、、

こういった類の言葉を機関銃のように連発するんです。

だんだん、訪問がイヤになってきました^^。

また聞かされる、と(笑)

奥さんは言われます。

「もうイヤになるでしょう?千田さんは訪問してくれた時だけ主人の話を聞いていればいいんですよね。それにそれで給料をもらってるんですから。
でも私は1日中ですよ。朝から晩まで。もう気が狂ってしまいますよ」

「お父さんも話し相手がないから、誰かに当たりたいのですよ、きっと。まあ、温かい眼で見てあげてください」

そう言い残して、家を離れます。

そして、ホッとするのです^^

老いを生きる

ケアマネの講習会で公開された人権啓発ドラマ。

「老いを生きる ~今日も何処かで高齢者のサインが~」

人権啓発センターの企画で造られた、認知症患者とその家族の人間模様を描いた作品です。

「誰もが通らなければならない老いの問題を自分のこととして捉え、日常生活の中で高齢者に対するやさしさや思いやりの心が、態度や行動に表れるような人権感覚を身につける作品です」
HPより抜粋

上映後、講演を聞きました。

その講演で講師(県庁職員)は自身の経験を語りました。

離婚後、認知症の母親の世話を一人ですることになり、大変なご苦労をされたことを。

県庁の管理職という立場上、毎日、机の上には片付けなければならない書類が並べられている。

そして、帰宅後、母親の介護。

夜間徘徊という問題行動を起こす母の介護で眠れない夜を何日も過ごしたそうです。

そしてある日、睡眠不足のため交通事故を起こしたそうです。

幸いガードレールにぶつかったため、他人に対して損傷を起こさなかったことが不幸中の幸い。

でも、車は大破、自分も軽症を負ったそうです。

ぶつかった後自分を取り戻し、ポロポロと涙を流しながらハンドルに自分の頭を押し付け、こうつぶやいたそうです。

”お母ちゃん、もう死んで”

「悪いことですよねえ。僕は弱かったんです」

講演者は亡くなった自身の母を今はどのように思っているのでしょうか。

心を打たれた研修でした。

プリンの思い出

こんな話を聞きました。

その方のお母さんはすでに他界していますが、生前、認知症の問題で随分苦しんだそうです。

「一番、困ったことはねえ、私がどんなに遅くなって帰っても、家の表に立って待ってるんよ。

今日は遅くなるから、先に休んでてねえ、と言って出かけても、必ず、表で私の帰りを待ってるんよねえ。

それが気の毒で、仕事が終わった後、友達に誘われても帰らなければならない。

そんな母親に口一杯の文句を言うたわ。

お母さんね、プリンが大好きでね。

いつも冷蔵庫を開けてプリンを取り出しては食べてた。でもね、必ず半分くらい残すんよね。

後はそのまま放ったらかし。それを咎めてもまた繰り返し。

最初の頃は、お母さんの好物だからといって冷蔵庫にプリンを入れておいたんやけど、もう腹が立って買うのをやめたんよね。

そしたらプリンはないのかい?って聞くんよ。

どうせ最後まで食べないんやから買うてないわって突き放したわ。

でも今となっては後悔よね。プリンみたいな安いもの、いくらでも食べさせたあげたら良かったって。

今でもプリンを見たら泣けてくるわ」

もしまだ生きていてくれたら、、、と。

そして自分が介護者に

そこに立場をおく役割が回ってきました。

終わりを見つけられず、ひたすら繰り返される介護

肉体的な疲労、そしておそらくその数百倍もの力を持つ、他人が~もしかして介護されている者も~気付いてくれない精神的な苦痛。

成長や回復のための介護ではない。

その介護の対象者は確実に終末に向かう。

人間は成長の為に試練が与えられるという。

ではこの試練はいつまで続くのですか?

ここに何を学べと言われるのですか?

成長の為にこんなにも自分を犠牲にしなければならないのですか?

もし自分が犯した罪の報いなら、いつ許してくれますか?

その答えは見つけれない。

窮屈な毎日の中で追い詰められた介護者は、助けを求める声さえも否定される。

そして孤独感を味わい、時には絶望感をも。

「どうして自分だけがこんな目に、、、」

「もう死んだらええのに」

これは、本人ですら気付いていない介護者の無意識の助けを求める訴えだったかもしれない。

この事にもっと早く気付いていれば、優しい言葉をかけてあげられたのに、、、。

あなたは間違っていない

「他人のアドバイスは天候のようなものだ。良い時もあれば悪い時もある」

アメリカにはこんな諺があるようです。

その通りかもしれません。

その人のの経験や価値観、固定概念、社会通念、常識の範囲内でのアドバイスですから。

一つの事実に対しての考え方や認識はいく通りもあります。

「介護を行っている」という事実に対しての認識も色々です。

「自分のおとうさんやお母さんをもっと大切にしてあげなさい」

「自分の家族に世話になるのは当然の権利だ」

「拘束されるのはもううんざり。もっと自由な時間が欲しい」

これらの認識はきっと全て正解でしょう。

しかし、認識を一つだと決めてしまえば、自分が正解と思っているその認識以外は誤りになります。

“相手の認識も正しい”という思いやる余裕がなくなる介護パニック。

幼い頃、喘息で苦しんでいる私の背中を朝までさすってくれた母親はもうここにはいません。

小学生の頃、鉛筆を盗んだと友達に言われ、母にそれを何気なく話した時

「ウチの子は人のものを盗んだりしません」と泣きながら、友達の親に訴えた母親はもういません。

空っぽの財布に1万円札をそっと入れてくれた母親、試験前に徹夜している私に“無理はするな”と毎日のように明け方、電話をよこした母親、、、もういません。

貴方が憎んでいる相手はお父さんですか?お母さんですか?おじいちゃんですか?おばあちゃんですか?

違うでしょう。

みんなその方々を心から愛しているんでしょう。

だから頑張っているのではないですか?

文句を言いながらも下の世話をしている長女。

アホやアホやと言いながらも毎回妻の飲む薬を合わしている夫。

情けないと言いつつ、栄養を考え三度三度の食事を運ぶ妻。

私はもう介護する人にも、される人にも「頑張ってください」とは言いません。

もう充分じゃないですか。</strong>

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